徳川家康のふるさと、岡﨑城の城跡をたどってきましたので、その様子をご紹介します
岡崎城とは
岡崎城は、愛知県岡崎市にある日本の城で「日本100名城」にも指定されています
15世紀中頃、明大寺の地に西郷頼嗣(稠頼)によって築城されたのがそのはじまりです。その後、享禄4年(1531)に松平清康(徳川家康の祖父)が現在の位置に移して以来、ここが岡崎城と称されるようになりました。
1959年に再建された3層5階の復興天守は、岡崎市のシンボルとして市民に愛され親しまれています。その歴史的価値から、2006年に「日本100名城」に選定されました
岡崎城 行き方
カーナビをセットする場合は「岡崎公園駐車場」をセットすると良いです。国道1号から駐車場へ右折入場できませんので、名古屋方面から来た場合は、Uターンする必要があります。
詳細は 拡大地図を表示 をクリック
岡崎城 本丸
乗用車駐車場から龍神堀を通り、本丸を目指します
巽閣(たつみかく)の石垣は、きれいに積まれていますね
清海堀(せいかいぼり)イベント時などは、堀に降りることができるようです
別名「龍ヶ城」とも呼ばれ、竹千代(のちの家康公)が誕生した折には、城の上に黒雲が渦巻き、黄金の龍が現れたと伝えられています。
江戸幕府を開き、豊臣に変わる徳川政権を樹立した家康公が、自分の跡継ぎに遺した言葉です。
岡崎城を支える石垣は「野づら積み」
天守の入口からみた本丸の様子
天守入口の奥に、入場券売り場があります
天守一階は、天守台石垣の穴蔵と心礎などが展示されています(礎石が現存するのは、岡崎城と姫路城のみ)
岡崎城 天守
天守閣の内部は、資料展示室や展望室となっています
天守二階、三階は、岡崎城の成り立ちや仕組み、文化や伝統産業の資料が展示されています
刀剣や発掘調査の出土品も展示
天守四階は、岡崎城シアター。プロジェクションマッピングで、壁3面+床面に映像が投影されています
岡崎城 最高階
東は豊橋方面、菅生曲輪(すごうくるわ)などが確認できます。菅生曲輪は江戸時代を通して、下級武士の居住地があったそうです
円筒の先に大樹寺が見えるそう。大樹寺は、徳川家康再起の場として歴史的にも大きな役割を果たしたお寺
大樹寺と岡崎城を結ぶ約3キロメートルの直線を「ビスタライン」と呼ぶそうです
岡崎城から八丁(約870m)離れていたことから、かつては「八丁村」という集落で、ここで生産される味噌が「八丁味噌」と呼ばれるようになったそうです
岡崎城 御城印
岡崎城 100名城スタンプ
100名城スタンプは、売店に常設されています。徳川家康の肖像画と家紋付きの登城記念スタンプもありました
岡崎公園
徳川家康が生誕した岡崎城を中心とした岡崎公園。天守閣を囲んで乙川、伊賀川沿いに咲き誇る春の桜は見事で「日本さくら名所100 選」にも選ばれているほどです
広大な敷地の中には、岡崎城のみならず神社も茶屋も資料館もあり、日本情緒を感じながらの歴史散策にぴったりです
「いちかわ」の徳川四天王パフェ食べてみたかったな…
岡崎城
天文11(1542)年12月26日、徳川家康公は、岡崎城内で誕生しました。家康公は、6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごしましたが、永禄3(1560)年の桶狭間の合戦で、今川義元が戦死したことを契機に自立。以来、岡崎城を拠点に、天下統一という偉業への基礎を固めました。
岡崎公園には、家康公が生まれたことを示す史跡があります。岡崎城のそばには、家康公が誕生したとき産湯に使ったという「東照公産湯の井戸」や、家康公のえな(へその緒・胎盤)を埋めたとされる「東照公えな塚」、また岡崎城の前には、平和を願う家康公の遺言碑もあります。緑豊かな公園として親しまれている岡崎公園を歩けば、家康公の息吹が感じられます。
お読みいただたき、感謝いたします 🤗