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実母の死について

昨年、実母が亡くなりました。

 

それからというもの、自分の人生についていろいろ考えるようになりました。

 

母は76歳、いわゆる団塊の世代でした。

 

共働きの家庭で、母はバリバリの営業ウーマンとして活躍していました。

 

定年退職後は、祖母(母の義母)の介護で心身ともに疲弊しながらも

 

趣味の合唱を通して仲間と支え合いながら、充実した人生を送っていました。

 

昨年、体調不良で医師の診察を受けたところ、胃がんが発覚。

 

リンパ節転移と腹膜腫瘍を伴うステージ4であり、根治治療は困難な状況でした。

 

胃を全摘し、食道と腸をつなぐバイパス手術と抗がん剤治療の選択肢もありましたが

 

母は手術を拒否しました。

 

ありのままの自分を受け入れる覚悟ができているようでした。

 

母は極度の医者嫌いで、ほとんど病院に行かなかったので

 

自業自得だと言っていました。

 

それから、私は東京と実家のある福岡を往復し

 

夏休みには、妻と子供を実家に連れて行きました。

 

母は、病名発覚からわずか3ヶ月後

 

病院で静かに息を引き取りました。

 

帰省したときは、子供とたくさん話をしていたのですが

 

父に聞いたところ、あのときはだいぶ気を張っていて、我々が帰ったあとは、相当気疲れしていたようです。

 

母は、弱い姿を見せたくない性格です。

 

あまりにも早すぎる別れに、私は茫然自失となりました。

 

母は倹約家で、贅沢な生活は送りませんでしたが

 

欲しいものは買ってもらえたし、私立理系の大学まで通わせてくれました。

 

バブルが崩壊し、就職氷河期の平成7年

 

なんとか東京の会社に就職することができました。

 

今となっては、母のおかげでここまで来ることができたと

 

心から感謝しています。

 

母が亡くなる間際、私は何もしてあげることができませんでした。

 

ただ、母の手を握り

 

「今までがんばったね。ありがとう。」

 

と伝えることができただけでした。

 

母の死を悼み

 

感謝の気持ちが伝わったと信じていますが

 

もっと何かしてあげることはできなかったのか

 

今でも自問自答しています。

 

母は死を悟っていたのか、持ち物をほとんど断捨離していました。

 

私のコレクションも全て捨てられていましたが、今となってはどうでもよいのです。

 

母は写真を撮られることを嫌っていたので、最期も葬儀もほとんど記録に残っていません。

 

そのため、せめて文章で残しておこうと思いました。

 

人生100年時代が到来すると言われていますが、私はその実現性に懐疑的です。

 

いつ死ぬかは誰にもわかりません。

 

だからこそ、後悔のない人生を送りたい

 

そう思うのです。

 

あと、健康管理は大切です。

 

調子が悪くなったら、まずは休息をとり、

 

それでも改善しない場合は、すぐに病院を受診しましょう。

 

お読みいただき、ありがとうございました。